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| 更新:2010/3/5 |
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『心』の秘密 漱石の挫折と再生 今西順吉[著] 46判上製・408頁・定価3990円(税込)/2010年4月刊行/ISBN:978-4-901510-91-2 Kは、そして先生は、なぜ自殺したのか。 明治の精神に殉死するとはどういうことなのか。 誤読の厚いヴェールを剥がし、漱石思想の転換点となった稀有の名作を縦横精緻に読み解く。自己本位から則天去私への道筋を鮮やかに照らし、漱石最晩年の境地を炙り出す。 |
| [著者]今西順吉(イマニシ ジュンキチ) 1935年、東京都に生まれる。1957年、東京大学文学部印度哲学梵文学科卒業。東京大学大学院修士課程・博士課程を経て1964年〜1966年、ドイツ・ゲッティンゲン大学留学。1966年〜1996年 北海道大学専任講師・助教授・教授・文学部長、1996年〜 国際仏教学大学院大学教授を歴任。現在、国際仏教学大学院大学理事長・学長・教授、北海道大学名誉教授。インド思想史(インド哲学・仏教)、近代日本思想史を研究。漱石についての著書に『漱石文学の思想第一部 自己形成の苦悩』『第二部 自己本位の文学』(筑摩書房)がある。 |
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第一部 『心』を読む 第一章 先生と私 1 不思議な構造 2 「先生」という呼称 3 「私の秘密」とは何か 4 出会いの情景 5 主客の断絶 6 雑司ヶ谷の墓地にて 7 人間は本質的な孤独を超えられるか 8 「淋しさ」と「動」 9 「静」という名前 10 奥さんの告白 11 端書と封書の意味 12 思想家としての先生 13 憎悪と復讐 14 「あなたは本当に真面目なんですか」 15 最後の晩餐 第二章 両親と私 1 郷里という「現実世界」 2 仏教の無常観 3 卒業祝いの中止 4 軽薄さと哀愁 5 乃木大将の殉死 6 兄との会話 7 先生からの郵便物 第三章 先生と遺書 1 遺書を書くに至った経緯 2 梵天勧請 3 借り着の思想を配す 4 鷹揚の喪失 5 『大乗起信論』の説く無明 6 小石川の下宿 7 「狐疑」にとりつかれて 8 魔が差す 9 Kの境遇 10 嫉妬 11 Kの覚悟 12 「運命の冷罵」 13 愛の二面性 14 Kはなぜ自殺したのか 15 人間の罪 16 先生はなぜ自殺したのか 第二部 『心』の秘密 第一章 修善寺の大患と思想的挫折 1 小宮豊隆の解釈 2 大患で得たもの 3 「自己本位」の崩壊 第2章 誰がなぜ殉死したのか 1 「模倣と独立」の決意 2 「現代日本の開花」の苦渋 3 「明治の精神に殉死すること」の意味 第三章 則天去私と『心』の装幀 1 則天去私へ 2 『心』を自装したわけ 第四章 親鸞から法然へ 1 親鸞への関心 2 「法然上人に就いて執筆すべく」 3 清沢満之とKの思想 4 夢の中の母 5 法然、インデペンデントの人 注 あとがき |
あとがき 『心』を書き終えて、漱石の長かった青春時代はようやく終った。『心』は疾風怒涛の青春時代に終りを告げるとともに、深く、広く、人生と世界を展望する、成熟の時代への扉を開けようとする。『心』を満たしている青春時代の苦渋が、中野重治をして、漱石は暗いと言わしめたが、その暗さは絶望の暗黒ではなく、暗い中にかすかな光の兆候を宿し、やがてゆったりと穏やかで豊かな陽光を呼び出そうとしている。 本書は『門』までを扱った拙著『漱石文学の思想』第二部に続くものであるから、当然、修善寺の大患の検討から始めるべきであった。しかしそれは後回しにして、『心』を先に取り上げることにした。大患後の諸問題は『心』に集約されており、『心』を丁寧に検討すれば、おのずから大患以後の諸問題にも言及せざるをえないことになるので、ここではそれらの問題については結論的なことだけを述べて、『心』の解明を中心にすることとした。大患の問題ならびに『彼岸過迄』『行人』などについては、別の機会に詳論することにしたい。 漱石研究は現在ますます盛んであるけれども、近年の研究者が漱石に対する姿勢を見ると、あたかも三流作家に対しているかのように思われてならない。漱石に対する尊敬の念がほとんど感じられない場合が少なくないのである。かつて高等学校の国語教科書から鴎外・漱石の作品が消える、とマスコミが大きく取り上げたことがあった。マスコミはその事実を報ずるだけであったけれども、近年の研究動向と併せ考えると、漱石作品、特に『心』を教材として取り上げても、教室での適切な教育的指導は到底期待できないと判断する、良識ある賢人がいたのかも知れない。報道された当時の背景事情について私は知らないけれども、そう考えて納得していた。 漱石文学は国民文学と称賛されたこともあった。現在でも広く読まれていることに変わりはないであろう。しかし漱石研究が漱石の文学について、積極的にプラスの評価を与える例は、実際のところ、あまり見当たらない。『坊っちやん』などの面白さを讃える書物が多数刊行されているのは、誰もが疑問の余地なく評価できる漱石の側面を確認したい、という意識を反映しているのではないかと思われる。しかし漱石は、創作こそ自分の本領だと信じて職業作家に転じたのであるから、そのような扱い方では、漱石のほんの一部分を見ているに過ぎないことになる。 文学は、小説などの形式によって思想を表現する。それが漱石の文学観であった。それは単なる抽象的理論だったのではなく、漱石にとって文学作品を読む視点であるとともに、漱石自身の創作の方法でもあった。漱石の文学作品は、物語小説であると同時に思想表現でもある。この事実を実際の作品に即して明らかにすることが、漱石文学研究の眼目でなければならない。 漱石文学の出発点にあった「自己本位」の立場は、一般論として理解されるにとどまり、漱石が「本位」とした「自己」の思想そのものは、取り上げられることがなかった。その「自己」の思想が崩壊したことによって、漱石は「則天去私」を唱えるに至ったのであるが、小宮豊隆などの門下生さえ、このような事情を理解しなかった。そのために「則天去私」の思想内容が不明なまま、この標語だけが独り歩きすることになってしまった。もっとも、漱石の宗教性に関する伝承を残したことには、大きな意義があった。この伝承も存在しなかったならば、今頃漱石は歴史の中に埋もれて、忘れ去られてしまったに違いない。 終戦直後の日本は、戦前のものに対する否定一辺倒の雰囲気に満ちていた。まだ慶応大学の学生であった江藤淳氏(一九三二―一九九九)は『夏目漱石』(初出『三田文学』昭和三十年。単行本、東京ライフ社、昭和三十一年)によって颯爽と文壇にデビューしたが、同書において「則天去私」を漱石神話に過ぎないと断定した。「則天去私」の標語だけが独り歩きしていて理解困難であったばかりでなく、漱石作品の解明も充分にはできていなかったにもかかわらず、漱石崇拝は強固だった。戦後という時代的雰囲気を考えれば、江藤淳氏が漱石研究史を大胆に斬り捨てるのに、特別の「勇気」を必要とはしなかったであろう。「則天去私」や漱石の宗教性を括弧に入れて棚上げすることによって、漱石作品を世俗文学として読む道を切り開くことに、若々しい意欲を燃やしていたのであろう。漱石作品の中の理解困難な部分を、「通奏低音」と呼んで棚上げしてしまう江藤氏の読み方の本質は、そういうものであった。当然ながら、そこに取り出された漱石像は極めて明快であり、漱石作品が読みやすくなったと、大歓迎された。 周知のように江藤氏自身は、その後間もなく、戦後日本の歴史状況を見る眼を百八十度転換させたけれども、氏の漱石研究そのものを転換させることはなかった。その矛盾の自覚が、結局、ライフワークであった『漱石とその時代』を完結させなかったに違いない。江藤氏の自死は、戦後日本の悲劇の一つに数えるべきであろう。 江藤氏以後に登場した「テキスト論」の隆盛は、本質的には江藤淳氏を先・とするものと言える。小森陽一・石原千秋の両氏は季刊誌『漱石研究』(全一八号)を主宰して、江藤氏に続く時代の漱石研究主導者であった。両者に共通の方法論はいわゆる「テキスト論」であった。「テキスト」から「作者」を切り離して(いわゆる「作者の死」)、本文の文字列だけを研究の対象とし、作者に関するすべての資料(伝承も含めて)を遮断するという「方法」によってテキストを読んだとき、例えば漱石の『心』は「貧しい」と小森陽一氏が批評するのを読むと、不思議な気持ちに襲われる。作品からすべてを切り捨ててしまっておいて、「貧しい」と認めるのであれば、そのような研究方法が誤っているかも知れないと考えるのが普通であろう。しかし、そうではなくて、「貧しい」ということを「新発見」と解しているところに、漱石に対する敬意の喪失を見る。むしろ「作者の死」という方法論は、作者に対する敬意を否定するためのカムフラージュではないかとも思えてくる。そうしてそれが現代の風潮になっている。 なぜ漱石を読むのか、漱石を読むことから何を学ぼうとするのか、皆目見当のつかない「研究」が少なくない。石原千秋氏は『『こころ』 大人になれなかった先生』(みすず書房、二〇〇五年)と題する書物を著している。作者が誰であるかは完全に度外視するというのであるから、「大人になれなかった先生」という結論を導いても一向に構わない、という「方法論」なのであろうが、こういう結論が果たして妥当なのか、という素朴な疑問すら抱かないらしい。 方法はあくまでも研究の手段にすぎない。まともな成果が得られなければ、方法の方が間違っている。それが学問的研究の基本であろう。学問などと呼ぶ以前に、そもそもそれが健全な常識である。漱石を論ずる現代の傾向は、「漱石作品」を素直に読むのではなく、「舶来の」文芸批評方法論を神棚に祀って、神官よろしく、仰々しい装いのもとに、無知なわれわれに向かって、ありがたい託宣を下すから耳を澄ませて聞け、と言おうとしているとしか思えない。 文芸批評の観点として、「作者の死」が絶対普遍の原則であるはずがない。もしも絶対的だと主張するのであるならば、「テキスト」論者自身が『心』を論ずるに際して、漱石の他の作品を引き合いに出す理由は説明できないであろう。 小谷野敦氏は『心』に関して諸家がどのように評価してきたかを調査して、論文「夏目漱石の保身――『心』の「殉死」をめぐって」(『文学界』平成十六年十月号)をまとめた上で、著書『DこころEは本当に名作か 正直者の名作案内』(新潮新書、二〇〇九年)において、『心』は名作ではないと断定した。小谷野氏の「方法」は一見「民主的」ではあるけれども、小谷野氏はもっと気概のある人とばかり思っていた筆者には、意外であった。 以上は『心』に対する研究・評価のほんの一端を記したにすぎない。しかしこれを見ただけでも、『心』が正確に読み取られていない実状を窺い知ることができると思う。こういう状況を外から見れば、何のために漱石を取り上げるのかが理解できない。もとより真面目に漱石研究に取り組んでいる若い研究者も少なくない。しかし管見の限りでは、細部における文献学的研究が中心で、深く掘り下げた作品理解・漱石理解の研究にまでは至っていないと思われる。 もとより、思想家としての漱石を研究した書物も少なくない。ここでは上田閑照氏の『私とは何か』(岩波新書、二〇〇〇年)についてのみ言及しておきたい。詳細については触れないが、この本の最後の章は〈「私の個人主義」と「則天去私」――夏目漱石の場合〉と題されている。同書は「私」の一般的な考察から、順を追って、「私」の哲学的な検討を積み重ねながら、最後に漱石の則天去私の思想を解明することを主眼としている、と言ってよいであろう。上田氏は哲学・仏教の問題の中心に漱石を置いているのである。ところが、周到に論を進めているにもかかわらず、漱石に関しては極めて不充分である。「則天去私」を論ずるに当たって、「現代日本の開化」及び「私の個人主義」に用いられる「自己本位」が、「則天去私」へと連続すると見ている。そして『心』を全く取り上げることなく、『道草』と『明暗』とによって則天去私を論じている。 このような上田氏の立論には問題がある、と批判するのは容易である。しかし問題の本質はそこにあるのではない。上田氏のように、真に思想研究の立場から漱石を研究しようとしても、従来の漱石研究は何の参考にもならない、という明白な事実こそが問題なのである。 漱石は単なる物語作者ではない。上田氏が解明を意図されたように、極めて重要な哲学的課題を考察する上で、漱石は避けて通ることのできない存在である。ところが、従来の漱石研究はこのような問いに答えるだけの用意がない。というよりも、特に戦後の漱石研究は、意図してそれを避けて来たと言うほかない。したがって漱石を日本思想史の中に位置づけることすら不可能な状態にある。まして、世界思想史の現段階において、漱石を考察する、などということは思いもよらない。戦後の漱石研究の主流は、漱石を歪曲する方向に導くべく力を注いで来た、と極論したくなるほどである。 私が本書において、できるだけ丁寧に本文に即して読解に力を注いだのは、従来の漱石研究が、もっとも基礎的な研究の手間を惜しんできたと考えるからである。こうした手続きを経ることによって、漱石の講演・評論と小説とが、決して無関係な別物ではないことが自ずから明らかになるはずである。漱石の思想がどれほど広く深い背景に根ざしているか、また、漱石が自分自身を実験台にして、心身を焼き尽くすほど苛烈な苦悩を味わいながら、検証し続けた結果として到達し得た、その思想の意義を理解することができると思う。 最近は日本文化・日本仏教に関心を寄せる外国人研究者が増えている。現代の欧米における哲学の閉塞状況から、世界は仏教や日本文化に新しい可能性を求めているのである。しかしわれわれは単純に喜んでばかりいるわけにはいかない。彼らは西欧の伝統的な教養を背景にして東洋に学び、彼らの伝統を革新し発展させようとしているのである。それに対して日本では、伝統文化や古典の教養はますます軽視され、現代の漱石研究が端的に示しているように、学問的研究と呼ぶことすら疑われるほど、極めて底の浅いものになりつつある。将来われわれ日本人が、漱石作品の正当な読み方を外国人から学ばなければならない時代が来ないとは限らない。漱石の教養のある部分は確実にヨーロッパの文化によって養われたのであるから、少なくともその部分に関しては外国人研究者の方がはるかに有利であるに違いない。その方向への兆候はすでに現れているように思う。 しかし「比較研究」は単純に一方によって他方を割り切ることではない。双方の厳密で正確な理解にもとづいて比較研究するのでなければならない。したがって、漱石に関する厳密な理解について、われわれ日本人が責任を負わなければならない部分が大きいことに疑問の余地はない。日本人が日本の遺産を相続できない憐れな存在にならないように、われわれは大きく目を見開かなければならない。 前著の発表後、公私にわたる多忙のため、長い歳月が過ぎてしまった。前著の最後に漱石の思想の挫折について言及したまま、長い中断となったため、度々続刊を期待する声を頂いた。ようやく責めの一端を果たすことができたことは大変嬉しい。本文の読みと、そこから導かれる問題の検討を中心としたため、先行する研究文献に関しては、大部分、省略した。 本書が、漱石の真実の解明にいささかでも役立つところがあるならば、著者としてこれに過ぎる喜びはない。 出版事業の困難な時代にあって、本書の出版を快く引き受けて下さったばかりでなく、編集上の貴重な御助言・御協力を頂いた、トランスビュー社の中嶋廣氏に心からの感謝を捧げる。 平成二十二年二月二十一日 著者記す |
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