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更新:2013/01/06

出版と政治の戦後史表紙画像 出版と政治の戦後史 アンドレ・シフリン自伝

アンドレ・シフリン[著] 高村幸治[訳]
46判上製・353頁・定価2940円(税込)/2012年9月刊行/ISBN:978-4-7987-0129-5

原書名:A POLITICAL EDUCATION:Coming of Age in Paris and New York

ナチの迫害、アメリカへの亡命、貧困、赤狩り、戦争、さらには自ら選んだ出版界の絶望的な変質――幾多の試練を乗り越え、米国とヨーロッパの知的世界を結び、人間精神の輝きを数多の書物に結晶させた、稀有の出版人の自伝。

[著者]アンドレ・シフリン
1935年、パリ生まれ。41年、ナチの迫害を逃れて一家でアメリカに亡命。イェール大学卒業後、英国ケンブリッジ大学でMAを取得。コロンビア大学大学院を経て、62年、パンセオンに入社、数々の名著を編集し、またヨーロッパとアメリカの出版界の交流を促進。92年、ニュープレスを興し、良質の図書出版を続け、今日に至る。他の著作に、The Business of Books: How the International Conglomerates Took Over Publishing and Changed the Way We Read (Verso, 2000.『理想なき出版』柏書房)、Words and Money(Verso, 2010) などがある。

[訳者]高村幸治 (たかむら こうじ)
1947年生まれ。国際基督教大学卒業。72年、岩波書店入社。編集者として著作集「大塚久雄著作集(増補版)」「土居健郎選集」「内橋克人 同時代への発言」や講座「精神の科学」「文学」などを手がけ、また鶴見俊輔、河合隼雄、上野千鶴子、日野原重明、ウンベルト・エーコ、ミヒャエル・エンデなどの書籍を世に送る。編集部長、編集委員を経て、2011年、退社。

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理想の出版を求めて‐一編集者の回想1963-2003 大塚信一[著]

関連情報リンク

書評・紹介記事等など
・熊本日日新聞(2012.09.23)岩岡中正氏書評
・毎日新聞(2012.09.30)冨山太佳夫氏書評
・日本経済新聞(2012.09.30)野崎歓氏書評
・読売新聞(2010.09.30)記者が選ぶ(佑)
・信濃毎日新聞(2012.10.07)鷲尾賢也氏書評
・公明新聞(2012.10.07)張競氏書評
・出版ニュース(2012.10.中)ブックハンティング・佐久間文子氏書評
・週刊読書人(2012.10.12)小林章夫氏書評
・NHKラジオ第一放送(2012.11.06)内橋克人氏「ビジネス展望」



目次

まえがき

第1章 楽園を追われて
 焦げた家族アルバム
 父の賭け
 ジャック・シフリン、プレイアッド社を興す
 ナチに追われて
 アンドレ・ジッドとのやりとり
 アメリカへの航海
 難民として
 フランスへの忠誠心
 フレンズ・セミナリーに通う
 亡命者たちのニューヨーク
 サルトルとレヴィ=ストロースの見方

第2章 ふたたびフランスへ
 政治好きの少年
 子ども一人の船旅
 パリの街を探検する
 ガストン・ガリマールとの交渉
 ジッドのユダヤ人観
 ジッドをなんと呼ぶか
 モーリヤックとの遭遇
 
第3章 戦後アメリカの激動の中で
 ニューディールから戦争へ
 高まる戦後への期待
 あのころの政策とビジョン
 十三歳からの社会民主主義
 「赤狩り」の恐怖
 FBIがやってきた
 欠落していた朝鮮戦争
 ハンナ・アーレントの密やかな熱い講義
 「沈黙の世代」
 父の死
 
第4章 大学での政治活動 ―SDSとCIA―
 入学許可と奨学金
 知的刺激のない大学
 ジョン・デューイ・ソサエティを創る
 見通せなかった国際情勢
 フルタイムの政治活動
 ベルリン、ローマの国際集会
 CIAの工作活動に乗せられる
 理念の変質とSDSの創設
 
第5章 遙かなるケンブリッジの日々
 われわれの手本
 クレア・カレッジの贅沢な部屋
 若者たちの時間
 自分流の勉強法を通す
 優雅な生活に別れを告げて
 『グランタ』の編集者になる
 すべて対等の関係で
 懐かしいケンブリッジ
 真の大学とは
 
第6章 出版の新しい可能性を求めて
 離れがたいケンブリッジ
 マリア・エレナとともにニューヨークへ
 政治活動から身を引く
 左翼ノスタルジア
 眠れない時代の後遺症
 アメリカの袋小路
 パンセオンで働く
 英国の編集者たちとの協働
 刺激的なフランスの著者たち
 一九六八年
 アメリカの反体制運動
 
第7章 変質する出版界 ―七〇年代以降―
 チョムスキーの見立て
 サッチャーとブレアの悲惨なイギリス
 ベネット・サーフのランダムハウス
 巨大エレクトロニクス企業の出版社買収
 サイ・ニューハウスの利潤第一主義
 排除されるパンセオン
 何のための出版社買収
 出したい本、価値ある本は出せない
 ニュープレスを立ち上げる
 武器製造業者が出版界を牛耳る
 コングロマリットがメディアを動かす
 変容する資本主義
 破壊されたアメリカは変わりうるか

第8章 活路はどこに
 歴史を見る眼
 これから出版社をやることの意味
 
終 章 パリで暮らして
 ニューヨークを離れたい
 パリの快適さと大勢順応
 美しい街の明と暗
 パリのアメリカ人

 謝辞

訳者あとがき


本文より
まえがき


 この本を書こうと思いたったのは、最終章で述べているように、二〇〇三年にパリで暮らし始めてからのことだ。すでに二〇〇〇年に、私は、出版人としての自分の役割について、また出版界全体が変化する中で自分の役割がどう変わってきたかについては、仕事にかかわる自伝的な著作、『理想なき出版』〔柏書房、二〇〇二〕を著していた。しかしパリで一年暮らしてみて、もっと言っておくべきことがあるように感じた。最初の本では、ためらいがあって、いくつかのことに触れないでいたことに気づいたのだ。自分自身の個人的な生活にあまりにも深くかかわることはいっさい書きたくないという思いがあったし、波乱に富む個人史の多くの側面には触れないようにしたからである。それに、人生を振り返り、なんと多くのことが曖昧なままになっているかに気づかされる年齢に、自分も到達していた。と同時に、両親のことをあまりにも知らなさすぎるし、また若いころ、きわめて大事なことを両親に聞きそびれてしまい、そうしようと思っても手遅れだという思いを深くしていた。

 徐々に、もっと語っておくべきだと考えるようになったのだが、それはある意味で間接的なきっかけによるものだった。気づいた最初は、父ジャック・シフリンと偉大な友人アンドレ・ジッドの間で交わされた、三十年近くにわたる往復書簡のフランス語版を出そうとしたときのことだった。父とジッドは一九二〇年代、父が出版人として仕事を始めたごく早い段階にフランスで出会い、一九五〇年に父が亡くなるまで共同作業を続けた関係だった。いまや多くの人が、ジッドは第二次世界大戦以前のフランスにおける最も重要な作家であり、あらゆる年齢層にわたって知的・精神的影響を与えた存在だと認めている。

 私は、父にとってジッドとの友情がいかに大きな意味を持つものであったかを知ってはいたが、その大量のやり取りされた手紙を見たことはなかった。父が注意深く保存していたジッドからの相当数の手紙は目にしていたものの、父が出した返信は一度も見たことがなかったのだ。実際、私は、父も働いていたフランスの大出版社ガリマール書店の文書管理の責任者アルバン・セリシエから、父とジッドの全往復書簡集を出さないかと言われるまで、パリの資料庫にそれが保管されていようなどとは思ってもいなかった。

 父が書いた膨大な手紙は、私にとってまさに衝撃だった。私は父が、一九四一年にフランスを離れなければならなかったことを非常に悲しんでいたのは知っていた。だが父は、ニューヨーク暮らしをいかに惨めに思っているかを、私に知られないよう隠し通したのだ。私にとって父は愛すべき存在であり、いつも私を励ましてくれる人だった。病が重いにもかかわらず(肺気腫を患い、アメリカに来て以後、しだいに息が切れるようになり、そのせいで疲れやすかった)、いつも仕事に没頭していた。フランスにもう戻れないのではないかという心配や、深まりゆく悲しみを、私が知ることは最後までなかった。しかし、私に隠し通したその思いを、父はジッド宛の手紙に注ぎ込んでいたのだ。父の絶望の深さのみならず、私にすればまったく思ってもみない事実に、驚愕するばかりだった。私の子どもの頃の無邪気さは、考えられないほど能天気なものであった。

 そこであれこれ思いめぐらし始めた。小さい頃こうした大事なことを知らなかったのだとすれば、他にも見逃しているものがあるのではないか、と。自分自身について言うならば、フランスに戻りたいと思うどころか、あっという間にまるっきりアメリカ人になってしまったことを覚えている。私の暮らし方は、典型的な若いニューヨーク子的なものだったと思う。たしかに私の考え方や嗜好は、多くの友人たちのそれとは違っていたが、そのこと自体、私からするとごくあたりまえのように思えた。フランス生まれというのは関係ないことだった。政治的姿勢や知的な姿勢の取り方をはじめとして、私の姿勢は、一九四〇年代、五〇年代のアメリカに、たとえその周縁にではあっても、うまく収まるものであった。思うに私の生き方は、齢を重ねても変わることなく、自分たちが置かれている社会の政治的指針に対して敏感に反応する、明確な政治意識を持つ市民としてのものだった。まちがいなく誰であれ、もしも私が影響を受けた議論に接する機会があったなら、きっと同じように行動しただろうと思う。

 また、五十年近い出版生活において私は、ひたむきな編集者は皆そうだが、自分もまた一途な生き方をしてきたように思う。私の闘いや選び取った選択は、われわれの職業に押し付けられてきた変化に対する、典型的な反応だったし、私と同じ立場にあった人ならば、誰でも私と同じように行動したことであろう。そうしたことは何一つ、私がフランス生まれだということとは関係のないものだと思う。

 そうした思い込みの多くに対して、はたしてそうなのかという疑問を抱くことになったのは、一年間パリで暮らしたからだった。パリに在っても私は、依然、自分は大いにアメリカ人なのだという意識をもっていたのだが、フランスにいると、とくに社会生活や知的生活において、いかに居心地がいいかを実感した。フランス人たちは、私の二重性を受け止めて、私の意見を積極的に聞く姿勢を示してくれた。アウトサイダーとしての私は、フランスについて、出版やメディアについて、あるいはまたアメリカについて、フランス人たちが、感じてはいてもときとして公の場では意見を述べるのをためらうようなことを、どんどん発言した。転換期にあるフランス・メディアの本質、あるいはフランスにおける知や政治のありようをめぐって議論をすると、私は自分が予期せぬ、自分にとって歓迎すべき役割を演じていることに気づかされた。

 しかし、私はたしかにアウトサイダーではあったものの、それにもかかわらず、基底にある多くのフランス的前提を、自分が共有していることもまた実感していた。たとえば、国家の役割とは何かをめぐって、さらには、フランスの日常生活を多くの面でしだいに変質させている外国の影響に対して、どこまで抵抗し、時には拒むべきであるか、といったことについて、同じ意見を持っていた。

 海の向こう側にいて、私はまた、アメリカが外国からの影響をなんと受け入れなくなっているか、その認識を深くした。パリ政治学院で新聞論のコースを教えるなかで、日々アメリカの新聞を読んでいてよく分かったのは、アメリカの新聞が、いかにヨーロッパのオピニオンを認めようとしないかだけでなく、ヨーロッパに対して説教を垂れ、ひどい論評を加えたがるかということだった。それも、その理由たるや、価値観が反資本主義的であるとか、アメリカの影響から自由であろうとし、福祉国家であることにこだわっているのがけしからん、といったものだった。また、生活の重要な要素として、余暇や仕事をしないでいる時間を大事にすることまでもが、その理由となっていた。

 そういうわけで、理性的な人なら誰であれ、私と同じ感覚を共有するであろうと思うその一方で、私は自分がなんとフランス的なのかと、驚きをもって見はじめていた。フランス的な価値観を、いかにたくさん自分の中に取り込んでしまったことか、私の生活のなんと多くが、アメリカ的な前提に異を唱えるアウトサイダー的なものになってしまったことか、と。そして自分の子ども時代あるいは思春期に立ち戻ってみるとき、自分がそれまで一度も仔細に検討することのなかった経験や考え方が、ひとつながりのものとして見えるようになった。私のそれまでの生活に対して、これまでとは異なった見方を提示する枠組みが、形を取り始めたのだった。

 以前の私の生活は、政治や思想を中心とするものだった。それは、選挙がらみで政治に関わっていたという意味ではない。選挙に立候補したこともなければ、私の子どもたちがしたように、誰かの選挙運動に参加しようとしたことさえもないのだから。しかし、にもかかわらず私の生活は、アメリカ内外の政治の世界で起こっていることを中心にしたものであった。そういうわけで、今度のこの本は、私自身の生き方を、非常に重要な一九四八年から六八年にかけての戦後期、私の人格が形成されていった時代を中心に、再検証しようと試みるものである。奇しくもその時代は、いろんな意味で、現代政治理論が形成された時期でもあった。その後の時代、すなわちベトナム戦争以後に関しては多くの記述が残されているが、それ以前に関してはかなり限られている。

 とはいうものの、二十世紀後半の政治史を書きたいと思ったわけではない。それならば、多くの歴史家たちが素晴らしい仕事を残しているし、私も彼らの著作を数多く出版してきてもいる。それに私は、歴史家になろうと何年も勉強を続けたけれども、分析的な歴史研究という意味では、自分がそこに何か新しいものを付け加えうることはないと感じていた(私も編集者である以上、たとえ自分のものであっても、断るべき原稿は断らなければいけないことは分かっている)。私の気持ちとしては、純粋に、自分なりの個人的な体験を書き記すことで、われわれが共通に経験した事柄に光を当ててみたいと思ったのだ。その意味で本書は、何よりも、ひとつの政治的回想というべきものである。

 本書では、私の個人生活の中のいくつかの重要な要素、素晴らしい妻との五十年近い結婚生活、誇りにしている二人の娘たちの生活などについては、意識的に触れていない。それらについてはまた別の機会に譲ることにしたい。娘たちの生活などについては、意識的に触れていない。それらについてはまた別の機会に譲ることにしたい。


訳者あとがき


 今、出版の危機ということが言われる。また出版文化の危機ということも。たしかに小売書店の数は毎年千軒前後の割合で減少し、多くの出版社は売り上げが下がり、苦しい経営を強いられている。本を読む人の数が、あるいは一人の読む本の冊数が減少していることが、その背景にあることは容易に推測がつく。

 日本の出版流通は雑誌やコミックに大きく依存するかたちで成り立ってきた。しかし景気の低迷をはじめとするいくつかの要因により、雑誌の売り上げが落ち込み、それに依存してきた書店経営が成り立たなくなってきている。当然のことながら、書籍販売の足腰である小売店が弱体化した結果として、雑誌依存型の出版社のみならず、書籍中心の出版社もまた危機的な状況に直面している。

 しかし、出版の危機をこうした流通構造のみに帰するのでは、危機の本質を捉えそこなう。そもそも出版とは何かという根源的問題がそこにあり、それを抜きにして出版の危機は克服できない。そのとき問われるのは、出版物の質であり、編集のあり方や、出版社の体質あるいは出版の姿勢である。質の高い本を作り出せているのか、読者が本当に必要としているものを出版社は提供できているのか。そもそも出版社は、何を世の中に訴えたい、伝えたいということで出版活動を行なっているのか。いまいちばん問われているのは、出版という営みの基底にある、そうした理念そのものではないか。

 出版とは、基本的に文字を媒介して情報を伝えるメディアである。いま大きな話題になっている電子書籍の問題も、それを紙媒体で伝えるか、電子媒体で伝えるかの違いであり、情報伝達の手段の問題である。しかし、何を、なぜ伝えるのかという問いは、それとは別に不変かつ普遍に存在する。それはまた、現実をどのように認識し、それとどう切り結ぶのか、ということと不可分である。わが国の出版界がいま抱えているそうした課題を考える際に、本書はさまざまな示唆を明快に与えてくれる。

 本書は、幾多の厳しい現実、試練を乗り越えながら、時代を切り開いてきた出版人の回想である。著者が潜り抜けてきた現実は、追体験できないほど過酷なものであった。迫害、亡命、貧困、抑圧、戦争、馘首……。それにもかかわらず──あるいはそれ故に──著者はそれらを克服するために、同時代の状況に積極的にコミットし、あるべき社会像を追求してきた。アメリカにとどまらない広範な編集活動を通して、多くの知識人を巻き込みながら、豊穣な出版文化を築き上げてきた。それは、現代アメリカの文化史、思想史における目覚しい達成であった。そしてまた、国際的にも高い評価を得るにいたった。優れた出版人に与えられる国際的なグリンザーネ・カヴール・ボラーティ出版賞や、フランスのレジオンドヌール勲章を授与されたのは、その証左であろう。

 著者アンドレ・シフリンの父親はロシアに生まれ、一九三一年に独力で出版の仕事を始め、古典文学叢書プレイアッド版を創刊し、名門出版社のガリマールに入社した。しかしその後、第二次大戦が勃発し、ユダヤ人であることを理由にガリマール社を解雇される。フランスに留まれば生命の危険があることから、一九四一年夏、一家はアメリカに亡命する。著者アンドレ六歳のときだった。

 父ジャック・シフリンはアメリカで、同じ亡命者のクルト・ヴォルフが創設したパンセオン社に合流し、共同編集者となる。サン=テグジュペリをはじめとするフランス人亡命者の著作や、ジッド、クローデル、カミュなど、ヨーロッパの質の高い著作を初めてアメリカに紹介している。またハンナ・アーレントなど、ヨーロッパからの亡命知識人たちとも親しく交わっている。

 そうした環境に育った著者は、小さい頃から政治にめざめ、イェール大学ではリベラルな立場から、マッカーシズムの反動の嵐が吹き荒れるなかで、学生運動組織SLIDを立ち上げ、さらに全米の左翼学生運動の中心母体となったSDS(民主社会のための学生連合)を組織化し、初代会長を務めている。

 イェールを最優等で卒業したアンドレは、英国ケンブリッジ大学に留学、優秀な成績でMA(修士)を取得する。留学中には権威ある雑誌『グランタ』の編集長を務めるなどの活躍を見せ、アメリカに帰国後、出版社のニュー・アメリカン・ライブラリーで働きながら、コロンビア大学大学院に学んだ。一九六二年、パンセオン社への誘いを受け、編集者として生きる道を選択する。縁というべきか、パンセオンは父ジャックが築き上げた職場である。

 パンセオンでのアンドレの活躍は、目覚しいものだった。ケンブリッジ留学以後に知りえたヨーロッパの優れた知性とその著作を、次々にアメリカに紹介、また逆にアメリカ人の優れた著作をヨーロッパに紹介するという、これまで誰もやらなかったことを実現し、大西洋の両岸における知の共同体の創出に大きく貢献する。

 その著作家たちを挙げれば、ミシェル・フーコー、マルグリット・デュラス、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、クロード・シモン、リチャード・ホガート、E・P・トムソン、レイモンド・ウィリアムズ、リチャード・ティトマス、R・H・トーニー、クリストファー・ヒル、エリック・ホブズボーム、グンナー・ミュルダール、R・D・レイン、ギュンター・グラス、アン・モロー・リンドバーグ、アニタ・ブルックナーなどは前者の例であり、ノーム・チョムスキー、スタッズ・ターケル、ジョージ・ケナン、ラルフ・ネーダー、ジョン・ダワーなどは後者の例である。

 こうしてシフリンは、それまでの孤立主義的なアメリカの出版界に新風を吹き込み、アメリカの知的世界に大きな刺激を与えた。それと同時に、新しい優秀な書き手を数多く発掘し、世界中にアメリカの知性の存在を知らしめたのだった。

 しかし、アメリカ社会の保守化あるいは新自由主義化と軌を一にして、出版界もまた利益優先主義が勢いを増し、パンセオンも大きな変化に見舞われることになる。こうしてシフリンは、利益至上主義という新たな敵との闘いを余儀なくされる。利益を生まない本は出版させまいとする資本の論理との戦いは、新しい社会への反逆行為だとみなされ、赤狩り時代と同じように中傷や非難、圧力にさらされることとなった。

 そのあげくにシフリンは、名門パンセオンからパージされてしまう。父ジャックがガリマールから追放された悲劇が、再び繰り返されたのだ。一九九二年、逆風の中、シフリンは自らの手でニュープレスを創立、民主的で公正な社会を作り出すべく独立した出版活動を展開し、心ある大勢の著者や読者に支えられながら、今日なお、質の高い書籍出版の先頭に立ち続けている。

        *

 本書は、激動の時代の生き証人である一人の出版人の回想である。しかし、本書は単なる出版人の回想録ではない。ここには、読むものの興味を掻き立てるさまざまな糸が撚り合わさっている。

 本書の原書名はA Political Education: Coming of Age in Paris and New York、直訳すれば「政治教育──パリとニューヨークで育って」ということになろうか。しかし本書全体のメッセージは、それよりもはるかに喚起力に富むものである。原書名にもう少しこだわるならば、著者は、ユダヤ人であるがゆえにアメリカに亡命せざるを得なかった父親の子として、幼少の頃から政治の影響をまともにこうむってきた。ユダヤ人に対する偏見の強かった時代、また戦後のマッカーシズム全盛の時代である。フランス的合理主義、リベラルな主知主義的環境の中で育った早熟な少年は、早くから政治的な事柄に関心を寄せ、社会民主主義を自らの思想として身に着け、大学時代には学生政治運動の中心として活躍する。書名には、そうした生い立ちへの著者の思いが表現されていると言えよう。

 出版社で編集の仕事をするようになってからも、著者はベトナム戦争批判やレーガン政権の新保守主義批判を繰り広げ、またグローバル化し利益至上主義に走る変質した資本主義を批判するなど、一貫してリベラルな立場から政治にコミットしてきた。アメリカのテレビや新聞が、また大手出版社が、コングロマリットの支配下に置かれ、保守化し、批判精神を失っている現実を批判するシフリンの筆致には、社会の木鐸たらんとする覚悟が表われている。出版人として、現実の政治的な諸問題に対してどう正対するのかを問い続けてきたという意味で、本書は、著者の実践的な「出版の政治学」と位置づけることができるだろう。

 そこには、著者の育った環境も大きく関係している。父の死後、数年間は、母とふたりでニューヨークの貧困線をはるかに下回る生活を強いられたという。著者がまだ子供だった頃、母シモーヌが言い聞かせた言葉が印象的である。社会の最底辺には貧困層が存在し、その上にさまざまな市民階級が存在する。しかしそうした市民層の、さらにその上に知識人の層があり、自分たちはその知識人層の一員なのだ。だから経済的に恵まれないことをとやかく言うことはない、と。著者は、金銭に換えることのできない価値を尊重する家族風土の中で育ち、なによりもそうした価値観を我が物とした。これは、日本の出版文化の礎の一角を築いた岩波茂雄が座右の銘とした、「低処高思」(低く暮らし高く思う)とも通底する生き方である。

 しかしシフリンが魅力的であるのは、そうした出版姿勢や倫理観によるだけではない。編集者としてシフリンを成功に導いたものは、豊かな教養、幅広いジャンルをカバーできる目配りと能力、またそのバランス感覚にあった。前述した著名な筆者のみならず、ノンフィクションからコミックにいたるまで、幅広いジャンルの多くの話題作を送り出している。

 本書はそれ以外にもさまざまな撚り糸で織り成されており、そうした視点からの読み物としても興味深い。

 まず本書は、アメリカにおける亡命知識人の精神史に新たな頁を開いたものとして貴重である。第二次世界大戦後のアメリカ文化は、ヨーロッパから亡命してきた知識人、特にユダヤ人知識人の存在を抜きに語ることは不可能である。ニューディールの時代、そして世界大戦に突入したのち、難を逃れたヨーロッパの知識人が次々にアメリカに到来した。各界の著名人が綺羅星のごとく居並び、アメリカの知的世界は大きく様変わりした。『亡命の現代史』(全六巻、みすず書房)やL・A・コーザー著『亡命知識人とアメリカ』(岩波書店)などを繙けば、いかに彼らの存在が大きかったかを詳しく知ることができる。また、アルフレッド・ケイジン著『ニューヨークのユダヤ人たち』(Ⅰ・Ⅱ、岩波書店)のように、ニューヨークを舞台に活躍した文学者や哲学者たちを描き出した刺激的な著作もある。

 本書の著者アンドレ・シフリンと父親のジャック・シフリンは、同じ亡命者であっても、学者でもなければ作家でもない。二人は出版人として傑出し、アメリカの出版文化を変えるうえで、きわめて大きな貢献を果たしたのだ。彼らは亡命ユダヤ人たちの媒介者として、あるいは新旧両大陸の知的世界の媒介者として、新しい「知の共同体」を切り開いたのだ。本書によって二人は、知識人の中心にあって活躍した出版人として記憶されるだろう。

 本書はまた、二十世紀後半のアメリカの変貌も、みごとに捉えている。

 シフリン一家がたどり着いたアメリカは、ニューディールの画期的な社会経済政策が次々に遂行され、社会全体が大きく変わりつつある時代だった。政策においても思想においても、ニューディール・リベラリズムと称されるリベラルな考え方が確かな地歩を占めていた。人種差別が厳然とあったにせよ、大挙して逃れてきたユダヤ人たちを受け入れるだけの、異質なものを抱え込む懐の深さもあった。戦争に勝利し、国全体が高揚するなか、リベラルな雰囲気が広がりをみせていた。

 そうした自由さが失われる過程が、朝鮮戦争であり、その後の米ソ冷戦だった。そういう中で保守反動のマッカーシズムが全米を席巻していく。その後アメリカは、キューバ事件、ベトナム戦争、ニカラグア介入、グレナダ侵攻、イラン・コントラ事件、パナマ侵攻、湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争と、一貫して軍事路線を突き進んできた。本書の記述をたどると、第二次大戦後のアメリカ現代史が、戦争や軍事化の展開・拡大であり、その過程での自由喪失の歴史であったことが、よく理解できる。著者自身が身をもって経験したCIAの陰謀やFBIの非合法活動といった、興味深いエピソードも紹介されている。

 さらに著者が、現代アメリカの重大な変質として批判的に論じるのが、新自由主義という金儲け主義むき出しのイデオロギーであり、コングロマリットによる経済社会の支配とグローバリズムがもたらす重大な弊害である。とくに、テレビや新聞などのメディア支配が出版界にまで及んでいる最近の状況に対する批判は、現代資本主義の本質と限界を突いて痛烈である。

 出版人としてのシフリンの生涯は、自由を賭けた闘いであったと言える。シフリンにそうした生き方を選ばせたものは、フランスとアメリカという、二つの異質な文化と歴史を背負う、彼の二重性にあっただろう。そうであるからこそシフリンは、アメリカ社会を常に相対化して捉える複眼的なまなざしを持ちえたのだ。本書をそうした、非アメリカ的アメリカ人の物語として読むこともできるだろう。鶴見俊輔の『北米体験再考』や、室謙二の最近の著作『非アメリカを生きる―〈複数文化〉の国で―』(共に岩波新書)と比較しつつ読むのも、また一興である。

        *

 勤務先で編集の仕事をする中で、私は何度か著者シフリンに会っている。最初は、記憶はやや曖昧だが、手許にある名刺からして、かれこれ三十年近く前、彼がまだパンセオンに在籍していたころ、訳者の勤務先を訪ねてきたときではないかと思う。その後は、フランクフルトのブックフェアに行くたびに、パンセオンあるいはニュープレス社のブースで、新企画の説明を聞く機会を得た。いつも時間が限られており、ゆっくり話をする余裕はなかったが、それでも毎回大きな刺激を受けた。

 ブックフェアは、基本的には著作権の売買を目的とするものだが、編集者として参加する意味は、欧米の出版活動の最前線を直接目の当たりにできることだ。どの出版社も、ブックフェアに向けて詳しい新刊案内を用意し、売り込みたい既刊書を数多く揃えている。しかし大半の社は、著作権の担当者が来ているだけで、編集者が来ているわけではない。そういうなかで、直接話をする機会を得た編集者の一人がシフリンだった。小柄ながら人を大きく包み込むような雰囲気があり、非常に知性的な紳士だった。チョムスキーとスタッズ・ターケルの本を、熱心に勧められたことを覚えている。

 本書の存在を知ったのは、三重大学教授でフランス文学・思想史の専門家、宇京賴三先生(現・名誉教授)が、フランスの新聞に本書のフランス語版の紹介記事があるのを発見され、教えてくださったのがきっかけである。

 原書を取り寄せてみると、興味深い内容であることが分かり、シフリンとも面識のある、編集の大先輩、大塚信一さん(前岩波書店社長)に本書を託すのがよいと判断した。大塚さんには、『理想の出版を求めて』(トランスビュー)という、シフリンを想起させる著作があり、その中でシフリンに言及されていたからである。大塚さんは、シフリンの起こしたニュープレスを、「現在のアメリカの出版社の中では、最も良心的な出版社」と評していた。

 それからかなり経ったある日、トランスビューの中嶋廣さんから連絡があり、会ってみると、なんと本書を私に翻訳してほしいという話だった。編集者として翻訳書を手がけた経験はあるものの、自分で翻訳をするというのは別の話だ。私にはできないとお断りしたのだが、しかし話をしているうちに、断りきれずに引き受けてしまうことになった。まだ会社勤めをしていたので、難しい事情を説明すると、それでもかまわない、やれる範囲で進めてほしい、この本は編集経験のある人が翻訳しないと魂が入らない、という返事が返ってきた。

 実際に作業に取り組んでみると、自らの浅学菲才を思い知らされ、引き受けるのではなかったと何度後悔したことか。中嶋さんにそのつど励まされ、何とか仕上げることができたのだが、しかし抱えている編集の仕事をおろそかにはできず、中嶋さんの当初の予定よりは大幅に遅れてしまった。お詫びを申し上げるしかない。

 ほとんど独力で小さな出版社を起こして十二年目。志を持って出版を続けるトランスビューの姿勢は、大出版社から独立してシフリンが興したニュープレスのそれと重なる。出版不況の大波の前に、多くの出版社が帳尻を合わせることに汲々としているなかで、本書はもっともふさわしい居場所を見つけたと言えるだろう。

 翻訳に当たっては、長年の友人、ライル・フォックス氏から多くの教示を得た。

 お名前を挙げた方々に記して感謝します。

二〇一二年七月十四日
高村幸治 

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