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更新:2009/10/5

宗教の教科書12週表紙画像 宗教の教科書 12週

菅原伸郎[著]
A5判並製・248頁・定価1890円(税込)/2005年1月刊行/ISBN:4-901510-29-0

宗教って何だろう。 それがわかれば何が変わるのだろう。
朝日新聞に「こころの頁」を創ったもと学芸・宗教記者が、豊富な取材体験を生かし、いま宗教をどのように考えればよいのかを、具体的に分かりやすく説く。
「入門する」「祈る」「迷う」「救われる」「気づく」「変る」など12 回の名講義で宗教のエッセンスがわかる。

著者 菅原伸郎(すがわら のぶお)
1941年、岩手県江刺市生まれ。早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒。1965年、朝日新聞社入社。学芸部員、論説委員、大阪本社学芸部長を経て東京本社学芸部「こころ」編集長などを務め、2003年退社。現在、大阪経済大学・拓殖大学・立正大学講師。
著者に『宗をどう教えるか』(朝日選書)『教育基本法「改正」批判』(共著、文理閣)『戦争と追悼‐靖国問題への提言』(編著、八朔社)など。

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書評・紹介記事など
・朝日新聞(2005.06.06) 宮崎哲弥氏・書評

関連情報リンク
目次
第1週 入門する
開講にあたって/さまざま勧誘/楽な道はない/布教のルール/見分け方/退会する

第2週 祈る
祈り以前/現世利益/宮本武蔵の場合/祈らない宗教もある/みだりに祈らない

第3週 迷う
ユタに会う/ユタ論争/迷いの宗教/迷いはもうかる/決定論

第4週 堕ちる
大峰山で/恐怖・心配・不安/脅しは有効か/挫折と失敗/絶望の底から

第5週 変る
カフカを読む/人身受け難し/異次元の世界/ヒキガエルの場合/新鮮に見えてくる

第6週 救われる
「癒し系」の音楽/癒しと浄め/自分自身のまちがい/修行・生けにえ・寄付/すでに救われている/本願ぼこり

第7週 気づく
「疑う」から/覚の宗教/「不立文字」の世界/根源的覚醒/外に求めるな

第8週 浄土と神の国
宣長の仏教批判/浄土は西にあるか/死後か生前か/有形の「神の国」/感動の表現として/非神話化

第9週 建てる
ブータンにて/玉城先生の仏像/方便をいうこと/建神主義/「人間が神を創った」/さまざまな表現

第10週 むさぼるな
菜食主義の論理/肉食の是非/限りある生/多神教優越論/貧瞋癡/中道の生き方

第11週 殺すなかれ
十戒と五戒/ボンヘッファーの選択/「聖戦」はあるか/法句経の教え/良くて殺さぬにはあらず/戒と律

第12週 宗教理解の四段階
第一段階「迷う」/第二段階「気づく」/第三段階「建てる」/第4段階「還る」/往生と還相/大死一番/

付 章 宗教教育の可能性
公立学校で宗教は教えられるか/五つの分野/「畏敬の念」への疑問 /施無畏/「心のノート」について/孤独のレッスン/教育基本法を読み直す

あとがき
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本文より
 第1週 入門する

 開講にあたって

 さあ、これから「宗教」の授業を始めます。まず、出席カードを配りますから、全員、自分の名前と学籍番号、そして裏に住所と電話番号を書いてください。

 ……などといわれて、すぐに自分の連絡先を書いてはいけません。非常に危ないことです。住所・氏名や電話番号はみだりに書いてはいけません。よく、都心の駅前で「アンケートをお願いします」とか「署名をお願いします」などと誘われますね。とくにサクラの咲くころ、地方から出てきた新入生や新入社員が呼び止められます。「イラン大地震の救援募金をお願いします」だったり、「青年の意識調査」だったりするのですが、それには怪しい宗教団体がからんでいる場合が多いのです。集まったお金がどこに流れていくか、といった疑問はもちろんあります。でも、それ以上に、氏名や住所を教えることが危ないのです。電話番号を教えると、数日して誘いの電話がかかってくるでしょう。「寂しくありませんか」「お茶でも飲みませんか」などと、親切そうに。

 あるときは「〇〇〇純潔研究会」、あるときは「イラク難民×××支援会」など、ボランティア団体のような名前を告げて誘ってきます。友人や知人、あるいは美しい女性から勧められることもありますが、それらは信頼できる組織でしょうか。怪しい団体ほど、正体を隠して近づいてきます。
 
 たとえば、こうして講義を始めた私は、本当にこの学校の教師なのか、少しは怪しんでみましたか。ネクタイを締めていて、年格好もそのくらいかな、と思って安心していませんでしたか。でも、じつは某カルトの勧誘員かもしれないのです。こうした大きなキャンパスには、だれが入り込んでいるか分かりません。同級生だろうが、教師だろうが、初めての相手には警戒すべきです。そうした心がまえがなければ、都会では生きていけないことを肝に銘じていただきたいのです。
 そこで、私はまず、こうして身分証明書をお見せします。そして、自己紹介もさせていただきます。一九四一年生まれで、三十八年間、新聞社で働いてきました。いまは、いくつかの大学で「宗教と人生」「宗教教育論」「日本語表現」といった授業を受け持っています。これから宗教の基礎の基礎をお話ししていくわけですが、まず「宗教には危ない面もある」「気安く信じてはいけない」と呼びかけたく思います。もちろん、宗教がすべて怪しいのではありません。ひょっとしたら、すばらしい教えに出会うかもしれません。では、本物と偽物をどう見分けたらいいのか。そのことを、みなさんといっしょに考えていきたいのです。・・・・



 第2週 祈 る

 祈り以前

 「ヤマギシ会」という、全国各地で共同生活をしている農業団体があります。その寄宿舎では数年前まで、入所している子どもたちに朝食を食べさせていませんでした。私の勤めていた新聞社に「人権侵害ではないか」という訴えが届いたので、本部のある三重県津市を訪ね、実情に詳しい市会議員のSさんに様子を聞きました。インタビューの途中で、その革新政党の闘士がこうもらしたのです。
 「ヤマギシ会は『われわれは何者にも祈っていないから、宗教団体ではない』といっている。そういうものですかね。そうなると、私なんか毎年の年賀状に『この一年のご多幸をお祈りします』なんて書いているから、宗教を持っていることになる。唯物論者としては、もうやめるべきですかね」

 私はとっさに「かまわないですよ。無神論の人に祈られて、先方は大いに喜ぶんじゃないですか」などと無責任にも答えました。しかし、あとになって私自身の年賀状が気になってきました。宗教担当記者であれば、さまざまな宗教を持つ方とおつきあいしています。仮に「ご健勝をお祈りします」と書いたとして、祈る対象はどんな神仏なのか。アラーの神か、八百万の神々か、大日如来か、阿弥陀仏か。あるいは、お寺に出す年賀状に「祈る」と書いていいものか……。といって、「ご多幸を願っています」では何となく落ち着きません。迷った末に「賀春」とだけ書いた年もありました。

 みなさんの中には「俺は宗教なんて持っていないし、信じない。祈るなんて、弱虫のすることだ」と思っている方も多いでしょう。しかし、そんな人でも、年賀状では祈っているのではありませんか。いや、あれは習慣・儀礼だから、というかもしれません。そのとおりですが、少なくとも「祈りとは無縁」ともいえなくなります。

 じつは、こうした「祈り以前の祈り」がけっこうあるのです。山登りで山頂に着くと・・・・



 第3週 迷 う

 ユタに会う

  「ユタ」という職業を知っていますか。沖縄本島を中心に、屋久島、宮古島、石垣島などの南西諸島に多い拝み屋さんのことです。ほとんどは女性ですが、たまに男ユタもいるそうです。頼まれると、祈ったり、占ったり、口寄せをしたりします。「口寄せ」というのは、シャーマンが死者などの霊を招き、その言葉を依頼者に伝えることです。

 数年前の春、那覇市にある久米至聖廟の中庭で、香を焚いて拝んでいるユタのC子さんに出会いました。依頼された中年女性のために、これから一年の幸せを祈ってあげている、とのことでした。

 その晩、五十歳前後のC子さんと喫茶店で話し込みました。沖縄本島に近い久高島で育った普通の少女でしたが、大阪へ働きに出ていて心を病んだそうです。都会の生活になじめなかったのでしょう。結局、ふるさとの島に帰って、終日、家に引きこもるようになります。つらい毎日でしたが、そのうちに評判の高いユタを紹介されて話を聞いてもらいました。次第に心が軽くなり、その先生の手伝いを始めます。そして「あなたもユタになっては」と勧められ、仲間入りしたそうです。その後、沖縄本島に移り、私が会ったころは那覇市内のマンションで暮らしていました。

 霊界がどう見えるのか、さりげなく尋ねてみました。本当に霊や魂と出会っているのか、という疑問からです。困った顔をしていましたが、ポツポツと「そうねえ、頼まれた人のために一所懸命祈っていると、どこからともなく、音楽が聞こえてくる。そして、その人の先祖に関係ある風景が浮かんでくる。ボーッとしていて、何ともいえないけどね。声も聞こえてきて、『自分は何代前の先祖だ。わが遺骨が粗末にされている』などと話しかけてくる」と答えてくれました。

 私はじっくり時間をかけて食い下がりました。聞こえてくる音楽は、民謡か、クラシックか、ポップスか。蛇皮線か、ピアノか。声の主は、琉球語を話していたか、標準語だったか。見えてくる先祖の風景とは、戦争前の沖縄か、現代そのままの姿か……。新聞記者としては当然の質問なのですが、答えはいずれもはっきりしません。「そうねえ」「さあ」を繰り返し、結局はあいまいなままでした。といって、ごまかしたりウソをいったりしているのではなく、そういう理詰めの話には慣れていない、という印象です。意地悪な質問にも怒るふうでもなく、途中で「相場は一回で五千円だけど、あんたなら三千円くらいよ」とも教えてくれました。

 C子さんは孤独と不安の中で心を病み、ユタに通い、自らもユタになりました。もともと傷つきやすくて心優しい女性なのでしょう。「仲間のユタを見ると、私のようなバツイチ、離婚などで人生に失敗したタイプが多いわね」とも話していました。 ・・・・




 第4週 堕ちる

 大峰山で

 修験道の霊場、奈良県吉野の大峰山で毎年七月に「蓮華入峰」という行事があります。七世紀末に役小角(役行者とも)という行者が活躍した山で、その遺徳をしのんで、ハスの花を山伏たちが大峰山頂まで担ぎ上げるのです。一般の人も参加できるというので、私も知りあいの宗教学者らといっしょに参加しました。

 二泊三日の「にわか山伏」になるため、夕方に吉野の宿坊に着きました。女人禁制の山ですから、五、六十代を中心にした男性ばかり、約百五十人が集まっていました。大広間に雑魚寝をして、翌日の午前二時に起こされました。金峯山寺の蔵王堂で登山の無事を祈ってから、長い列になって歩き始めます。まだ暗いうちに桜で有名な奥千本をすぎ、明るくなってくると、みんなで「六根清浄、懺悔、懺悔」と声を掛け合います。先達の山伏が勢いよく「ロッコン、ショウジョウ」と叫ぶと、私たちが「サーンゲ、サンゲ」と応じるのです。途中にある社や祠で何度も立ち止まっては「般若心経」を読み上げ、また「華厳経」にある「懺悔文」を唱えました。 「がしゃくしょぞう、しょあくごー。かいゆうむし、とんじんちー。じゅうしんごい、ししょしょー。いっさいがこん、かいさんげー」

 持参した金峯山寺発行の「勤行儀」によれば、ヲ我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋癡、従身語意之所生、一切我今皆懺悔ォと書いて、「われ昔より造れるところの諸の悪業は、みな、始まりもないころからの貪り、瞋り、癡さによる。身・語・意より生ずる所なり。一切、われ、いま、みな懺悔したてまつる」という意味だそうです。

 さらに登ると、女人禁制の結界門があり、ここから大峰山の核心に入ります。昼も過ぎて、鐘掛岩をよじ登りました。そしていよいよ、名物の「ノゾキ」になりました。百メートルくらいも切り立った岩壁から身を乗り出す修行です。太いロープを袈裟懸けにし、専門の山伏が三人がかりで押し出してくれます。二人が足を押さえて、もう一人がロープを持っているのです。列の前の人たちの様子を見ていると、若い人なら山伏から「親孝行するか」と声をかけられます。そのときは半身を空中に押し出されていますから、みんな、「はい」とあわてて答えます。年配の人は「奥さん、大事にするか」などと聞かれているようでしたが、やはり「はい」と応じるしかないでしょう。

 私も縄をかけられ、ああ、自分の番が来たなあと思ったら、スーッと押し出されて・・・・

 第5週 変わる

 今日はまず、次の詩を大きな声で読んでみましょう。英国のロバート・ブラウニング(一八一二〜一八八九)が書いた「春の朝」という作品で、上田敏という詩人が大正時代に編纂した訳詩集『海潮音』で日本に紹介しました。

 時は春、
 日は朝、
 朝は七時、
 片岡に露みちて、
 揚雲雀なのりいで蝸牛り枝に這ひ、
 神、そらに知ろしめす。
 すべて世は事も無し。

 みなさんも今朝、さわやかなキャンパスを歩いてきて、こんな晴れ晴れとした気持ちだったかもしれません。私は、高校時代に習った清少納言の「枕草子」第一段にある《春はあけぼの、やうやうしろくなりゆく、山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる》という情景を思い出しました。・・・・



 第6週 救われる

 「癒し系」の音楽

 今日はまず、みなさんがよくご存じの音楽、「フィール(feel)」(東芝EMI)を聴きましょう。二〇〇一年に百万枚以上が売れたオムニバスCDです。

 ……どうですか、どの曲も優しいなあ、と感じるのではありませんか。リズムはとても緩やかで、けっして叫ぶことはありません。このCDには「ザ・モースト・リラクシング」という副題がついています。もっともリラックスできる音楽というのです。

 こうした「癒し系」というジャンルが注目されたのは、一九九九年、栄養飲料のCMに坂本龍一が起用されてからです。そのシングル版「ウラBTTB」はミリオンセラーになりました。ピアノ演奏だけで、人間の声が一切入っていない静かな曲です。以前は同じ商品を「二十四時間、働けますか」とあおっていましたが、不況時代になって、逆に現代人の疲れを癒す方向を打ち出して成功した、ともいわれています。

 次は、アイルランド出身の作曲家であり歌手のエンヤによるアルバム「ペイント・ザ・スカイ・ウィズ・スター」(ワーナー・ミュージック)をかけてみます。

 ……テンポが単調で、変化がほとんどありませんね。繰り返しの旋律で、極端な上下がなく、なめらかな流れです。つまり、「癒し系」音楽の特色としては、ドラマ性のない点があげられるでしょう。劇的でないということです。たとえば、ベートーヴェンの「運命」のような入り方はしません。モーツァルトのように、悲しみの世界と喜びの世界を描くこともありません。同じ旋律を繰り返す点では、ラヴェルの「ボレロ」と同じですが、あれはターン、タ、タ、タ、タ、タ、タン、タ、タン、と静かに静かに始まって、次第に激しく激しくなっていきます。でも、エンヤはいつまでたっても平板で、絶望にも希望にも向かいません。もちろん、ロックの激しさ、ジャズのアンニュイ、あるいはビートルズのようなメッセージもありません。

 私の姪は受験勉強をしていたころ、「何となく、エンヤ」だったそうです。モーツァルトやベートーヴェンをかけたのでは、音楽を聴いていないか、あるいは勉強していないか、どちらかになる。しかし、「癒し系」なら邪魔にならない。それなら、かけなければいいのだろうが、といって、何もないのも少し寂しい、というのです。静寂のなかにいると、どこか怖くなる。「こんな勉強をしていていいのだろうか」「大学に入ったからといって、何が変わるのだろうか」などと余計なことまで考えてしまう。そこで「癒し系」を背景に流しておくのだそうです。・・・・



 第7週 気づく

 「疑う」から

 私は三十八年間、新聞社に勤務しました。初任地は山形市で、静かな人情に厚い土地柄でした。まず、警察を担当しました。ある朝、いつものように山形署に出向くと、宿直明けの刑事さんに「けさは何もないよ」といわれました。まだ人間を信じていたのでしょう。素直にお礼をいって支局に戻ったのですが、じつは前夜、この地方では珍しく殺人事件が起きていたのです。地元の山形新聞の特ダネとなり、新米の私は支局長に叱られました。その後も取材先の話をそのまま書いては失敗を重ねました。それ以来、政治家はもちろん、立派そうに見える経済人も教育関係者も、すべて疑うことにしました。新聞記者という仕事は「まず疑う」が基本なのです。

 デスクや管理職を一通りすませ、五十歳を過ぎてから、宗教などを扱う「こころ」のページの担当になりました。宗教記者というわけですが、疑ってかかる習性は抜けません。取材先を簡単に信じることができないのです。

 初めのうちは、立派な袈裟を着ているお坊さんや聖堂でミサを挙げる神父さんに{怖‖おじ}{気‖け}づきました。しかし、おつきあいも少し深くなると、本音もいろいろ出てきます。中には、ごまかしたり、隠したりする人もいて、つまりは人間であることが分かってきました。それはそれで親しみを感じてくるわけですが、当然ながら、聖なる祭壇や豪華な仏壇、こけ脅かしの衣装にも気後れしなくなります。彼らがいくら「ありがたい」説教をしても、素直には信じることができなくなりました。因果な商売です。新聞記者であることと、宗教を持つこととは根本的に矛盾するのかもしれません。

 しかし、よくよく考えると、この「疑う」姿勢は悪くないはずです。他人を信じることは美徳といわれますが、疑うこともまた人類の発展に尽くしてきたのです。科学史上の大発見も多くは疑いから始まっています。「太陽が地球を回っているのは、本当だろうか」という疑問から、コペルニクスは地動説を考え出しました。ジャーナリストが政治家や実業家の言葉を信じて疑わなかったら、ウォーターゲート事件もロッキード事件もリクルート事件も、表面化しなかったはずです。

 というわけで、いっそ徹底して疑ってみようという気になりました。疑って、疑って、疑い抜く。日々の取材対象はもちろん、お坊さんも、神父さんも、大学教授も、そして彼らが話している中身も、本当かと疑ってみる。ついでに会社の上司も、友だちも、あるいは親や妻子も、周りをすべて疑っていく。念仏も、祈りも、経典も、聖書も、神も、仏も、さらには、疑っている自分も疑います。生意気な原稿を書いている自分を見つめ直します。さて、それで、何が残るでしょうか。・・・・



 第8週 浄土と神の国

 浄土と神の国

 宣長の仏教批判 江戸時代の末期、伊勢の松坂に生まれた国学者・本居宣長(一七三〇〜一八〇一)は、もともとは浄土宗の家柄でした。十九歳のとき、先祖代々の墓がある樹敬寺で「五重相伝」という研修会に参加し、生前法名を受けました。「南無阿弥陀仏」を毎日百回は称えることを誓って、《妄念はうき世のならひよしやよし おこらはおこれなむあみた仏》という歌も詠んだのです。その後、町医者になりますが、そのかたわら、自宅で「源氏物語」の講義を始めました。そして、三十代半ばから大著『古事記伝』の執筆に取り組み、日本の古典研究の基礎を築きます。

 それで、念仏の誓いがどうなったかといえば、成長するにつれ、仏教ぎらいになったのでした。晩年には《さとるへき事もなき世をさとらむと 思ふ心そまよひなりける》《死ねはみなよみへゆくとはしらずして ほとけの国をねがふおろかさ》などと詠み、死後の浄土を説く浄土宗の教義をからかっています。七十二歳で亡くなる直前には、樹敬寺とは別に新しい墓所を定め、戒名も墓石もない神道式の塚を図面で遺しました。「人間は死後、どこに往のか」と弟子に問われて次のように答えており、死後は暗いだけの黄泉国に往くしかない、と考えていたようです。 《よみの国は、きたなくあしき所に候へども、死ぬれば必ゆかねばならぬ事に候故に、此世に死ぬる程悲しき事は候はぬ也》

 仏教をなぜ捨てたのでしょうか。哲学者の梅原猛さんは『地獄の思想』という本で《仏教についてあまりに無知であり、ごく常識的に理解し、その常識にもとづいて仏教を批判した》と書いています。私もそのとおりだと思います。

 具体的には、「浄土」をどう見るか、という問題です。二十二歳のときに《此世をは露ときえてもかの国の 法の蓮に結ふ玉のを(緒)》と詠んでからずっと、宣長は最後まで「浄土とは、死後に生まれる世界」としか考えていなかったのです。江戸時代も末期となれば、地球が丸いことは常識になっていましたから、子どもだましの「西方浄土」など信じられるか、という気持ちだったでしょう。七十一歳になってからも、わざわざ《仏ふみよめはをかしき事おほみ ひとりわらひもせられけるかな》と詠んでいました。

 そのほか、宣長の人生があまりに順調だったことも挙げられます。少年時代に父親とは死別しますが、賢い母がいて、医術を学ぶために京都へ遊学させてもらいました。そうした生い立ちでしたから、梅原さんは宣長の「源氏物語」研究が仏教の「暗い闇」を読みとっていないことを指摘し、《宣長の恋愛肯定論はなんと素朴で健康なことか。傷とか懐疑とかにもっとも縁遠い魂だった》と述べています。つまり、宣長には生涯、仏教の大前提である「自己否定」がなかったのです。私の講義でいうならば、前回までの「堕ちる」「変わる」「気づく」といった話を聞かなかったことになります。・・・・



 第9週 建てる

 ブータンにて

 ヒマラヤ山脈の南にあるブータンを訪ねたことがあります。個人ではなかなか足を踏み入れにくい国ですが、たまたま財団法人・仏教伝道協会の企画した旅行があり、参加したのです。タイのバンコクを経て、高度二千四百メートルの山間の飛行場に着きます。首都ティンプーなどで五日ほど過ごしましたが、現代の日本人が忘れてしまった純朴さが残る、かわいらしい国でした。

 ブータンの政府や仏教界の厚意で、私たち一行は外国人の参観があまり許されていない僧院なども見学できました。しかし、男女の交合を描いた「歓喜仏」などもあり、これが同じ仏教かなあ、とも思いました。

 どこの寺院の門前にも大小の「マニ車」というものが並んでいました。円筒状の樽のような形で、上下に心棒が通っており、回転する仕掛けになっています。参詣に来た善男善女はまずマニ車に手をのばし、ぐるりと回してから門をくぐります。チベット文字で経典が刻んであり、一回転させると、その経典を読んだことになるのだそうです。そのミニチュア型もあり、老人たちが日本のでんでん太鼓のように手で持って、くるくると回しながら往来を歩いていました。

 私たちは当初、そんな安直な仏道修行があっていいものか、と思いました。いくらか蔑む気持ちも起きました。しかし、滞在も三日目くらいになると、納得できるようになりました。チベット仏教には千年以上の歴史がありますが、王侯貴族や僧侶を除いて、民衆の大多数は文字が読めませんでした。僧侶の説教を聴くことはできても、自分自身で経典を読むことはできません。そんな制約の中から、マニ車を回して仏法に触れる、という方法が考え出されたと思われます。

 いっしょに訪れた浄土真宗の住職さんが「そうか、マニ車はお念仏と同じなんだ」というと、日蓮宗の尼僧さんが「つまりお題目ということね」と応じました。日本の仏教も、はじめは漢文が読める貴族だけのものでした。しかし、鎌倉新仏教が生まれ、庶民も参加できる救いの道として、「南無阿弥陀仏」の念仏や「南無妙法蓮華経」の唱題が広まり、朝に夕に仏を思う習慣が定着していくのです。ブータンの人たちも、ミニチュア型のマニ車を回せば、行住坐臥、いつでもどこでも仏法に触れることができます。農作業や牧畜の合間に、あるいは山道を歩きながら、マニ車を使った仏道三昧に浸れるわけです。このことに気がついた私は、土地の背景や歴史を何も知らないまま、一瞬でも蔑む気持ちを抱いたことが恥ずかしくなりました。

 似たものとして、仏教には数珠もあります。本来は念仏や陀羅尼を唱えるときにその回数を数えるためのものですが、つねに手に巻いていることで仏道に日々親しむ効用があるようです。キリスト教史の研究によると、数珠はインドから西欧にも伝わり、ロザリオになったとみられています。東西の信仰心には共通点があるわけです。 ・・・・



 第10週 むさぼるな

 菜食主義の論理

 宮沢賢治(一八九六〜一九三三)に「ビジテリアン大祭」という短編があります。北米東海岸の田舎町に世界中のベジタリアン(菜食主義者)が集まって大会を開く話で、童話にしてはかなり理屈っぽい作品です。冒頭の場面では仲間同士が楽しく交流していますが、途中から「動物を食べて何が悪いか」とする反ベジタリアンが会場に闖入して大激論となります。欧米人の議論が続いたあとで、終わりに日本の仏教徒同士がこんな論争を繰り広げます。

 浄土真宗本願寺派門徒「原始仏教の時代から肉食は許されていたはずだ。釈迦も亡くなる直前に捧げられた豚肉を食べていた、という記録がある。親鸞聖人も肉食をしておられた。諸君のような奇形の信者は、おそらく地下の釈迦も迷惑であろう」

 主人公「そんなことをいう人は仏弟子でも仏教徒でもない。釈尊が最後に食べたものは豚肉でなく、キノコの一種だったはず。そもそも、輪廻転生している生き物はすべて、われわれの先祖や兄弟なのだから、食べていいはずがない」

 晩年の宮沢賢治は菜食主義で通しており、主人公の口を借りて自分の主張を述べたのです。二十歳ごろからは日蓮に帰依しており、熱心な浄土真宗門徒だった父親に対しては強く改宗を迫っていました。というわけで、この作品の背景には宮沢父子の激しい論争があったはずです。当然ながら、物語では菜食主義者が論争に勝ち、居合わせた肉食肯定派がベジタリアンに転向して終わることになっています。

 物語の結末はそうなのですが、どうも賢治の仏教理解には偏りがあったようです。近年の古代インド研究では、原始仏教は肉食を禁じていませんでした。たとえば、原始仏典「スッタニパータ」の「なまぐさ」という章には《この世において欲望を制することなく、美味を貪り、不浄の(邪悪な)生活をまじえ、虚無論をいだき、不正の行いをなし、頑迷な人々、――これがなまぐさである。肉食することが〈なまぐさい〉のではない》という言葉があります。僧侶でさえも、自身が殺されるところを見ていない、自分のために殺されたと聞いていない、その疑いがない、という「三種浄肉」は許されていたのです。

 また、ゴータマ・ブッダが入滅直前に食べたものは豚肉だったかキノコだったかについては、原典解読に両説があって決着がついていないようです。・・・・



 第11週 殺すなかれ

 十戒と五戒

 前回の講義では、人間が動物や植物を殺す問題を考えました。きょうは、人間が他人を殺すことについて考えてみましょう。

 日本の刑法一九九条は「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは三年以上の懲役に処する」と定めています。しかし、殺人がすべて犯罪かといえば、そうでもありません。刑法三五条(正当行為)、三六条(正当防衛)、三七条(緊急避難)では例外が認められています。たとえば、刑務官が死刑を執行する、街頭で刃物を振り回す男を警察官が射殺する、自衛官が「侵略勢力」を撃退する、医師が法律で認められた範囲の胎児を人工中絶する、自分が助かるためには他の方法がなかった、といった場合は免責されます。二〇〇一年十二月に東シナ海で起きた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の工作船と海上保安庁の巡視船との銃撃戦では、北朝鮮側に十人以上の死者が出ましたが、日本側は「正当防衛」として応戦していました。

 もちろん、法律で認められているからといって、倫理的に、あるいは宗教的には別の問題です。死刑を執行した刑務官が長く苦しむことはしばしば報告されています。やむをえず犯人を射殺した警察官も同じ気持ちになるでしょう。・・・・



 第12週 宗教理解の四段階

 第一段階「迷う」

 「宗教と人生」の講義も十二回目、今回で終わりです。最後に、宗教を理解するには四つの段階があることをお話しします。

 入学試験の失敗とか、失恋とか、肉親の病気とか、勤務先の倒産とか、最後は不治の病まで、人生にはさまざまなことが待ちかまえています。そうしたことに出くわしたとき、「自分だけは大丈夫だ」と思っている人でも、とかく怪しい世界に迷い込むものです。でも、そこで、ぐっと我慢してほしいのです。「信じれば、救われます」などとやさしい言葉をかけてくる人もいますが、その相手をよくよく見極めましょう。まず、魑魅魍魎を振り払い、呪術や怨霊の世界を拒否することです。

 いわゆるカルトだけではありません。伝統宗教や新宗教を信じる人の中にも、本人は善意のつもりかもしれませんが、時代遅れの迷信や狂信を勧める人はいるものです。そうした信仰は、一時の気休めになっても、結局はあなたをまちがった方向に導き、ときには宗教ぎらいにさせてしまうかもしれません。ともかく、科学や理性を否定する話には乗るべきではありません。これまでに学校で勉強した理科や社会科の知識を思い出し、怪しげな誘いはきっぱり断りましょう。

 もちろん、カルトや迷信を拒否できたとしても、悩みや苦しみ、罪悪感や悔恨が消えるわけではありません。もがき続けて自暴自棄になり、お酒や馬鹿騒ぎで紛らわす誘惑に駆られるかもしれません。しかし、そんなことであなたの絶望は解決しないはずです。逃げ出さないで、しっかり状況を見つめてほしいのです。仮に挫折を経験したのなら、自分の抱いていた望みがそもそも無理だったのではないか、自分の資質とは違っていたのではないか、などと考え直すことが先決です。見栄や名誉、お金や気がねといったこだわりを捨ててしまえば、意外に早く再出発できるものです。

 そして、ほかのだれのせいでもない自分自身の責任と、真正面から向き合わなければなりません。他人に迷惑をかけたり、道徳や倫理に背いたり、振り返ると、この自分がいやになることばかりです。その罪意識と悔恨は生涯、消えないでしょう。そうした現実を他人のせいにしないで、自分自身で引き受けることです。

 そこまで落ち込むと、まったくの孤独であり、不安であり、絶望といっていい状態です。といって、自ら死を選んでも、平安があるとは限りません。来世から戻ってきた人はいないのであり、死んでから救われるというのは、一つの仮説にすぎません。何の保証もないことです。それなら、どうせいつかは死ぬ身ですから、もう少し我慢してみましょう。当面は逃げないで、苦しみ抜くことです。

 どうしても逃げたくなったら、たとえば、アルベール・カミュの『シーシュポスの神話(1)』を読んでみましょう。ヲ真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだォという文章で始まる、なかなか歯ごたえのある評論です。・・・・



 付 章 宗教教育の可能性
  [以下は、碓井敏正編『教育基本法「改正」批判』(文理閣、二〇〇三年)へ寄せた拙稿に大幅な加筆・削除をしたものです。本書の背景を理解していただくために掲載します。]

 公立学校で宗教は教えられるか

 「公立学校で宗教を教えられないのは、戦後の教育が悪いからだ」と説く人々がいる。そんなことはない。一八九九年(明治三十二)の文部省訓令十二号(1)によって、日本の公私立学校では明治時代から宗教教育が禁止されていたのだ。敗戦後はむしろ、私立学校で可能になったし、公立学校でもかなりの部分は教えられるようになったはずだ。

 ただし、文部省(現・文部科学省)や学校現場は宗教に逃げ腰だった。保守政治家は「即効性のない宗教教育より、道徳教育で愛国心や公徳心を教えたほうが早い」と考えてきた。革新側の教師たちも、おそらくは「宗教はアヘンなり」などと考えて消極的だった。そうした左右両陣営の姿勢が教育界全体にあって、学校から宗教を遠ざけてきたのである。つまりは宗教についての無知・無関心が背景にあるからであり、法律の不備で宗教が教えられなかったわけではない。・・・・



 あとがき

 新聞記者だったころ、新年の紙面で「浄土と神の国」という対談を企画しました。真宗大谷派の僧侶である坂東性純・元大谷大学教授と、プロテスタント神学の八木誠一・元東京工業大学教授がこう発言しています。
 
 坂東 「ああ、阿弥陀さまのお慈悲は、この私にまで及んでいる」と感じることがある。この体験や感動が大事ですね。それをどう表すか。浄土思想は、阿弥陀とか無量寿とか、つまり、限りなきものと仮に名前をつけたが、ほかの名前でも構わない。だから体験が先で、名前が後。逆ではない。浄土も感動や宗教体験が先にある。

 八木 浄土や神の国を神話的に実体化して考えると、現代人はそんなものはありゃしない、と思う。しかし、「神の支配」の体験は本来、だれもが持てるものです。そこを抜かして、いきなり、超越的な実在を信じなさい、なんていったって始まらない。
(朝日新聞東京本社版、一九九九年一月七日付夕刊「こころ」面)
 
 そうなのだ、と合点がいきました。いつまでも「超越的な実在」などにこだわっているから、子どものような神観念から離れられないのです。頼ったり、すがったり、あげくには宗教がばかばかしくもなります。そうではなく、宗教の本質はまさに「感動」そのものなのです。そのことに気づくと、この世の中はまったく新しく、輝いても見えてくるでしょう。この宗教観を受け入れるなら、両先生がそうだったように、仏教とキリスト教は肝胆合い照らす仲になるかもしれません。イスラームの神秘主義など、ほかにも深いところで通じあえる教えがあるように思います。

 そこのところを何とか理解していただきたく、本書では詩を多めに引用してみました。その深さを味わってみてください。ただ、そのために宗教哲学の方面が中心になり、宗教と倫理の関係については後半の二章だけとなりました。自殺、死刑廃止、安楽死や尊厳死、葬送、政治とのかかわりといった今日的な課題については、別の機会に取り上げたく思います。ただし、宗教教育の問題については、本書を執筆するに至った動機でもあり、以前に書いた文章に大幅な加筆・削除をして「付章」として掲載しています。

「宗教の教科書」といっても、中立、公平、無難にではなく、あくまでも私が生きてきた時代と個人の体験をもとに書いています。教室などで参考にする場合は、自分自身の挫折や失敗も含めて、「人生」を語っていただきたいと思います。刻々と変わる世界の動きに触れることも大切です。仏教でいう「応病与薬」で、つまり医者が個々の患者の病状や体力に応じて薬を処方するように、状況に応じて利用されるようお願いいたします。

 私は、文献を研究する学者でも、寺院や教会に身を置く宗教家でもありません。祈りや坐禅や念仏が身についているわけでもありません。その代わり、新聞記者という立場で、宗教界を自分自身の目で偏りなく見てきたつもりです。どこの教団にもどこの宗派にも遠慮していませんから、その点だけは安心していただけると思います。・・・・
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